60年代のある日、ラジオの深夜番組から、その歌は流れてきた。歌詞を持たない、スキャットだけの歌で、透明感のある美しい歌声に聴き入った。それが番組のテーマソングで、曲名は「夜明けのスキャット」、歌い手の名はユキサオリ、と知ったのは、それからかなり年月が過ぎてからだった。
あれから、ほぼ半世紀、米ジャズオーケストラと組んだ、由紀さおりさんのアルバムが、全米有数のチャートで一位を占めるなど、各国で大ヒット中だという。「夜明けのスキャット」にかぎらず、ほとんど日本語のまま収められているそうだから、海外のひとたちには全曲、スキャットのようなものか。それでも、それがメッセージ(言葉)となって、聴くひとの心に届いている。
ある年、ホーホケッケ、と耳を疑いたくなる、音痴なウグイスの声が、隣家の庭から飛び込んできた。そんなんじゃ“彼女”が振り向いてくれないよ、とこちらはその下手さ加減を笑った。ところが、やつはしだいに腕を上げ、最後にはみごとな「恋鳴き」を披露したのだ。そのときアーッと甦ったのが、深夜の四畳半に流れてきた、あの「夜明けのスキャット」の情景だった。
ウグイスの声には、過去を伝え、未来を予告する能力はないだろう。それが可能なのは、われわれだけのはずだが、不幸にも人間は、言葉を得たときから、みんなが嘘つきになった。言葉は、意思を正確に伝えるアイテムとして、璧ではないからだ。それを補うには、やっぱり言葉が必要となる。それではじめて誠意が示せるというのに、いま意思を明確にしない、うわ滑りの言葉がやたら横行している。
広島、長崎の惨劇を背負った、世界で唯一の原爆被害国である日本が、ふたたびいま放射能の脅威にさらされている。原爆加害国のアメリカから持ちかけられた原発開発に、平和的利用という名目(言葉)を得て、みずから手を染めた。そして今年、深刻な結果を突きつけられた。だが、原発計画を主導したひとの姿は、ぼやけたままで、ほんとうの意味で過去の反省もない。ならばと、国家のリーダーに、これから先の指針を求めても、意思を伝えるべき言葉を、意味不明にして語る。これほどの大惨事を招いても、なお、このていど……。
「問題になっていることに沈黙するようになったとき、われわれの命は終りに向かい始める」。キング牧師の言葉が、えらくタイムリーに響く。
「いまの若者は夢がないねえ。おれたちはサー、車が欲しい、舶来のスーツを着たい、マイホームを持ちたいと、必死にがんばったものだよ」。全員が中高年のある忘年会で、ひとりの還暦男性がそう大声でまくしたてると、隣のわたしに、そうだよねえ、と相槌を求めてきた(この世代の男から、このての話を聞かされるのは、ほんと多い)。しかし、こちらに振られても困るのである。その男の気にいるような返事ができそうもない。
皮肉にも、そんな新世代を産みだしたのは、われら父親世代である。親が平然と子供の前で、金儲けの話をするという家族の風景は、日本史上、はじめてのはずだ。そのうち何割かの子供たちが、父親を反面教師に、いつのまにか父親世代と異なる価値観を確立させ、彼らなりのしあわせを捜して、試行錯誤しだした。つまり、日常的に家庭で飛び交うようになった言葉が、子供世代の血に流れる、本来の日本人らしさを揺り起こした……。
いま、「金儲け」というワードから、いつか書物で読んだ話を思いだしている。第二次大戦中、ナチの親衛隊員は、アウシュビッツに収容されたユダヤ人を、望んで処刑した。死体はかれらにとっての収入源。金歯や宝石類を抜き取り、また処刑人数のノルマを果たせば、休暇も手にできた。彼らが職務に忠実であったのは、そのためだという話だ。あらためて、国家のために家族のためにと死線を越えた、戦時の日本人の偉大さを思う。彼らを先輩として、この日本に生まれた幸運を、心底、感じる。
われわれの子供世代が、物欲や出世欲に淡白であるとしたら、それは戦後日本人のはじめての目覚め、と考えてはどうだろう。きっと彼らから、ハッとさせられる、なにかの言葉が発信されて、新しい時代の扉が開かれる。
ザビエルの書簡にこんなくだりがある──日本人はわたしが遭遇した国民のなかで一番傑出している。日本人はたいてい貧しいが、貧しいのを恥辱と思う者はひとりもいない──。また、幕末の日本を見た、アメリカ駐日公使のハリスの日誌にも、おなじような記述がある──日本人は喜望峰以東のどの民族よりも優秀だとくり返して言える。貧しいが、じつに清潔。貧乏であれば不潔なのが世界の共通なのに、この民族にだけは当てはまらない──。
津波が起こったら、どこへどのように避難しなさい、と代々語り継がれていた地区があった。後世の人間のためにと、はるかむかし津波に遭遇した先人が、遺したのだろう。何世代にもわたる言葉のリレーがおこなわれ、実際、これにより巨大津波から逃れることのできたひとが、大勢おられた。
欧米社会とは異なり、農耕民族の日本人は、一集落定住で暮らしを営んできた。町という小さな地区を、人々が心の拠りどころとするかぎりは、戦後の高度経済成長期においても、経済の国際化が進んでもまだ、町は健在だった。ところが、気づいてみれば、活気とぬくもりに満ちた、人々が情報を共有するような町は希少になっている。私の盟友である「ヒューマガ!」発行人・立花の刊行意義も、そんな状況からの回復に貢献したい、町の活性化に役立ちたい、というあたりにあるだろう。そんなことを、先人からの情報(言葉)で命を救われたという、前述の話から考えたりもした。
欧米のつくりだすグローバル化の潮流に、行先も尋ねずに乗っている。本当は、日本を代表するあなたの背中に、あなたの国が持つすばらしい生活文化や精神文化への憧憬が集まっているのですよ。秀逸な日本人の叡智を、もっと強く発信することも、あなたの役割だ。